写真で振り返るライフストーリー

2016.03.24

新潟県三条市で生まれ育ちます。
父は発明家。いつでも明るく、誰にでもしゃべりかけるようなユニークな父。「朝起きた時、笑顔で元気よくあいさつ」というのがわが家の家訓でした。

小学4年生の時、スティーヴン・スピルバーグ監督「激突!」に衝撃を受けます。トリハダが立って、その場から石のように動けなくなってしまいました。
中学1年生の時、父が言った「雄一、お前映画監督になったら?お母さんとお父さんを映画館に招待してよ」という一言で、「映画監督になる!」と決意します。中学時代は映画鑑賞と脚本づくりに没頭。
高校1年生の時、父母に必死でお願いをして、ビデオカメラとデジタルカメラを購入。映像と写真にのめり込みます。


高校3年生、地元の写真コンテストに応募。365点の中から選出され、飛び跳ねるように喜びました。実はこの時、パニック障害を患い、学校にも行けない状況だったのです。『自分の存在を認めてもらえた』という救いとなる出来事となります。

 

新潟大学教育人間科学部(現、教育学部)に入学。「学校の先生になる」という思いではなかったのですが、子どもの育ちに関する「教育」に興味を抱き、「発達心理学」を専門とする中島伸子先生のゼミに入ります。

長期休みを利用して、日本各地の農家・牧場などで働いたり、ボランティア活動に明け暮れる。(上の写真は一番初めに住み込みで働いた香川県観音寺市にある石川農園)

大学4年生、兵庫県を旅している時、双子の子どもたちに出会う。
満面の笑顔にシャッターを押した瞬間、雷が落ちたような衝撃を受ける。
『この笑顔を見た人、みんな笑顔になっちゃうんじゃないか?』
そう思い立ち、自らを笑顔写真家と名乗り、活動をスタート。

大学4年生の秋、企画展「笑顔で笑顔になっちゃう笑顔展」を新潟市のギャラリーで開催。2日間で300人以上の方にご来場いただく。

大学4年生冬、NHKの番組「一期一会~キミに聞きたい!~」(語り:原田泰造さん)に笑顔写真家として初出演。たくさんの方から手紙やメールを通じて、エールをもらう。そして自分の生き方を貫こうと決意し、企業の内定を辞退し、笑顔写真家として独立。

大学卒業後、全国各地の笑顔を写す「日本全国 笑顔の旅」を敢行することを決意します。全国各地の地域に数週間~数か月滞在し、その土地で暮らす人々との交流の中から、最高の笑顔を記録していく壮大な旅。ここで老若男女、さまざまな人とコミュニケーションを取って、笑顔を引き出す心構えと極意をいろんなひとに教わっていきます。

笑顔写真家にしてくれた恩人の双子にも会いに行ってきました。

2009年~2013年の丸4年間をかけて、「笑顔の暮らし」をテーマに全国各地の29の地域をめぐりました。それぞれの暮らしで見つけた素晴らしい瞬間を一冊の本に凝縮しました。写真集「笑顔咲く。~日本各地の暮らしを巡る旅へ~」、ぜひご覧ください。

東日本大震災後には被災地に出向き、子どもの笑顔を収めたチャリティ写真集「僕らは今を生きている~東北の子どもたちからのメッセージ~」を発行。雑誌ダ・ヴィンチのコーナー「子どもに読ませたい防災の本ランキング」でベスト4に選出されました。おかげさまで発行部数は全て完売し、収益は全て、「東日本大震災・児童館活動支援募金」に繰り入れ、被災地の児童館・子どもたち支援に活用されています。

熊本地震が起こった1か月後には熊本県上益城郡御船町に開設されていたテント村を訪問。そこで子どもたちに出会い、限られたスペースで遊ぼうということになりました。その時に、「だるまさんがころん写!」の撮り方が生まれたのです。

親子で一緒に楽しめる写真撮影を広めていこうと決意し、えがお先生というキャラクターが生まれ、今現在に至っています。

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